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FIELDS OF ANFIELD ROAD

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ミラー紙より、トーレスの自伝「El Nino My Story」からの抜粋Part4です。リバプールFCについて語っています。
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彼の頭はマドリーにあったかもしれないが、心は既にリバプールにあった。フェルナンド・トーレスは実際に気がついていなかったかもしれないが、彼の運命は既に定められていた。

腕がパチンと鳴り、ディフェンダーとのボールの競り合いによる接触で外れたキャプテンマークの裏に書かれた言葉が、彼の運命を表していた。その言葉は明白だった。'We'll Never Walk Alone'。

それは、ラファエル・ベニテスへの「僕を取りに来い」デモンストレーションであったわけではない。全く違う。そうではなく、その言葉はトーレスと彼の友人たちとの絆を意味するものだった。リバプール・フットボールクラブのアンセムとして使われている有名な歌の中で、その言葉は使われている。
彼の友人たちは、その言葉を前腕にタトゥーで入れていた。トーレスは自分がそれをすれば議論の的になるだろうということを知っていたから、友人たちは彼に内側にその言葉が入ったアームバンドをプレゼントした。彼らの秘密だった・・・2007年4月23日、レアル・ソシエダのディフェンダーとの接触でそれが世界中に露わになるまでは。

「運命は、もしも僕がアトレティコ・マドリーを出るとしたら、それはリバプールに行く時だと定めていたようだったよ。」彼は語った。

「スペインの北部のサン・セバスチャンでそれは起きた。僕がアトレティコ・マドリーでレアル・ソシエダとプレーしていた時にね。僕はディフェンダーと競り合い、付けていたキャプテンマークが緩んで開いたんだ。
アームバンドは僕の腕から垂れ下がり、内側に書いてある英語のメッセージが見えた。We'll Never Walk Alone。意図してやったわけではなかったのに、その直後から僕はリバプールに気持ちがあるんだと言われるようになった。そんな計画はなかったし、アンフィールドでの未来が心をよぎったこともなかったよ。しかしチャンスの時だった。あのアクシデントは、僕のキャリアの次の大きなステップを象徴していた。アトレティコでの僕のキャプテンシーが、リバプールを象徴する言葉に取って変わるというね。

僕の親友全員が、腕にあの言葉をタトゥーしている。前に一緒に食事をしている時に、お前も同じようにやれよと言われたんだ。僕はできないと答えた。'You'll Never Walk Alone'はヨーロッパ最大のクラブの一つに強く結びついているフレーズで、リバプールにはっきりと関係しているから、それはいい考えではないと思った。
僕はアトレティコの選手であり、根っからのロヒブランコ(※赤白=アトレティコサポーター)だった。彼らは、僕の誕生日にそのフレーズが中に入ったキャプテンマークをプレゼントしてくれることにしたんだ。たとえ腕にタトゥーはなくても、僕たちは決して一人ではないというために。」

僕はアトレティコのキットマンにそのアームバンドを渡し、彼はそれをチームシャツと共に保管してくれた。あの日のソシエダ戦でそれが外れた時、目ざといカメラマンが写真に収め、僕は直ぐにリバプールに結び付けられることになった。

「もしかしたらあの日に僕はアンフィールドへの最初の一歩を踏み出したのか、それとも僕が既にリバプールと何かを共有していたからだったのかもしれない。僕は、このクラブを定義づけている大切なものに一体感を感じるんだ。ハードワーク、奮闘、謙虚さ、犠牲、努力、不屈、忠誠、連帯感、団結、信頼、あらゆる障害を乗り越えて前進を続けるという、永遠に変わらない欲求・・・週に一度、リバプールのファンは地球上で一番重要な人々のように自分たちを感じ、選手たちにもそれを感じさせる。彼らは全てを捧げ、見返りは何も求めない。

リバプールFCは、勝利に慣れているにも関わらず、楽にやろうという誘惑には絶対に屈しないクラブだ。良いプレーをすればファンはそれを楽しみ、悪いプレーをすればその時は彼らはそれを乗り越える助けをする。リバプールという家族は、ピッチの外でも僕を助けてくれた。まるで僕が昔から知り合いの近所の人間のように接し、そして皆が同じ目標のために力を合わせているんだ。チームのために。すばらしい人々、尊敬すべき人々だよ。何度厳しい運命に打ちのめされようと、そこから立ち上がって来た人々だ。厳しければ厳しいほど、彼らはより一つになって来たんだ。」

トーレスはほとんどヨーロッパ中のクラブから追いかけられた。彼はアトレティコ・マドリーで自分のキャリアを全うすることを願っていたが、最終的には自分の夢をかなえるためには移籍するしかないということを認識した。リバプールが電話をかけて来た時、それは彼にとって運命の日となった。

彼はこう語った。「数々のオファーを拒否し続けていたけど、ラファ・ベニテスからの電話が、初めて僕に疑問を抱かせるようになった。僕はこれが移籍する正しい時なんだと決断し、アトレティコのオーナーであるミゲル・アンヘル・ジルに、リバプールからのオファーを聞いてくれるように頼んだ。」

「リバプールがイングランドで最も成功したクラブであるということを、僕は知らなかった。ラファがアンフィールドにやって来てスペイン人選手を獲得して以来、僕はリバプールのことをもっと良く知るようにはなっていたけど、そのことについては知らなかった。イングランドのフットボールを支配していると僕が思い込んでいた他のチーム、マンチェスター・ユナイテッドとアーセナルからは少し遅れを取っていると思っていたんだ。彼らの歴史がどれほどもの凄く、どれほど多くのトロフィーを勝ち取って来たかを知った時は驚いたよ。

イスタンブールは、リバプールの真の魂を見せつけた。スペインのTVチャンネル、カナル・プラスが、彼らがトルコで5度目のヨーロピアンカップを獲得した後にクラブの歴史を放送していた・・・ヘイゼルの悲劇、そしてヒルズボロの悲劇、選手とファンの絆、逆境に立ち向かう努力を。

困難を乗り越えて断固たる姿勢を取る団結心、あらゆる状況に立ち向かいそれを打ち砕く能力、それは真の巨人が持っているものだ。リバプールFCは特別であり、完全なクラブだよ。プレーし戦うクラブ、応援する人々のために全力を捧げるクラブなんだ。

僕はリバプールと最もゆかりのある人々の名前を聞いていた・・・ダルグリッシュ、ラッシュ、スーネス、キーガン、オーウェン、ファウラー、ハマン・・・そして自分の応援するクラブの中で下から上がって来た人間として、僕はスティーブン・ジェラードと呼ばれるユースチームから上がって来た若い選手に特に興味を抱いていた。

1980年代のリバプールはまさに無敵だった。ヘイゼルのことでのヨーロッパ戦の出場停止が国内では彼らをさらに強くしたものの、クラブの国際舞台での存在感を失うという大きなハンディキャップを負わせた。ラファ・ベニテス、彼はこのクラブでそれを変えた。かつてのリバプール哲学の一部を復活させ、クラブに世界規模での存在感を与えたんだ。」

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アームバンドが開いたのも何かの運命か。その時は考えてもいなかったのに2ヵ月後には赤いシャツを着ていた、その事実を思えばそうかもしれないとも感じますね。
今や彼とリバプールは相思相愛の間柄。そしてベビースカウサーも誕生し、これからその絆はますます深くなるでしょう!
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