カイトの
オフィシャルサイトに掲載された、自叙伝第2弾。前回の
「Quick Boysでのカイト少年」の続きです。
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1998-2003 ユトレヒト時代
ユトレヒトからのスカウトは、僕のQuick Boysのファーストチームでのプレーを6試合視察した。彼らは他の大勢の選手たちと一緒に僕にトライアウトを受けさせ、僕を選び出した。
ユトレヒトはカトワイクからたったの1時間の場所だったから、僕は毎日車で通っていた。初めは僕は車の免許を持っていなかった。一人の選手が毎日僕を拾ってくれたよ。僕が共に仕事をした人達みんながとても重要だったけど、この人は特にだった。彼の名前はAlfons Groendijk。今でも友人で、彼は僕にとってとても重要な人間だった。
車で走っている間、彼はいつも僕にフットボールについて、そしてプロになるというのはどういうことかを僕に話してくれた。彼は自分のキャリアの終盤を迎えつつあるベテランの選手だった。僕の最初の2年間に、彼のような選手と話せてそこから学べたことは良いことだった。
ユトレヒトのトレーナーであるFoeke Booyも、僕のキャリアの中でとても重要な人だった。僕がユトレヒトに来た時、彼はリザーブのコーチだった。契約に含まれていた通り、僕はまずリザーブチームでプレーを始めた。でも最初から物事はとても上手く行き、僕はファーストチームに入った。それから1年後、Foekeはユトレヒトのアシスタントボスになった。その後彼はヘッドコーチになったから、あの時の彼は本当に重要な存在だった。
僕がユトレヒトに加入したのはプレシーズンの時で、シーズン初めの試合のピッチに立った最初の1分から、僕はとてもうまくやれた。僕はいつもストライカーとして見られているけど、ユトレヒトでのかなりのシーズン、僕はセカンドストライカーや右のウィンガーでプレーする方が多かった。オランダ代表でも右のウィンガーでプレーしたよ。そこがチームにとって問題のポジションだったからね。だから、僕はそこでもプレーできる。
僕のユトレヒトでのラストゲームは、オランダカップ決勝の対フェイエノールト戦だった。その時、僕はすでにフェイエノールトと契約を済ませていた。だから、これがユトレヒトでの自分のラストゲームになることはわかっていた。自分がすでに契約しているフェイエノールトを相手にカップ戦の決勝で勝つというのは、本当に特別なことだった。僕は得点も決め、本当に嬉しかったよ。僕たちは決勝をデカイプ(※フェイエノールトのホーム)でプレーした。観客は、試合後僕に拍手喝采を贈ってくれた。彼らが勝てなかったことにはがっかりしていたけど、それでも・・・。
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2003年のアムステルカップ決勝で、ユトレヒトはフェイエノールトを相手に4-1で快勝しました。カイトにとっては生涯忘れられない試合になったでしょう。自分がこれから移籍するチームと、彼らのホームでラストゲームを対戦して優勝するというのは、すごいめぐり合わせですね。その当時小野伸二がフェイエノールトに在籍していましたが、彼はこの試合にはベンチ入りしていませんでした。
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