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FIELDS OF ANFIELD ROAD

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公式HPに掲載されている、トーレスのこれまでについての記事を訳してみました。
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「僕はかなり病気だよ。髪の毛をヘアバンドに入れて止めるのは友達がそうしたらと言ったんで、そのときから僕はゴールを決め始めたんだ。」彼は言った。「もし得点したら、その試合の前日にやったことを僕はいつも繰り返すんだよ。だから、もしも僕が得点した時に、その試合へ向かう途中でコーチのそばに立っていたとしたら、僕はまたそうするだろう。誰かと話していたとしたら、またその人と話す。僕はいつもそういうことを繰り返すんだよ。」

それは機能しているようである。エル・ニーニョ(the Kid)は過去5シーズンで平均15ゴールという一流の成績を残しており、彼はまだ23歳だ・・・いかなる基準に照らしても印象的な記録である。
彼が最愛のアトレティコ・マドリーでユース年代をどのように通り抜けてきたかは、彼が19歳で史上最年少のクラブキャプテンになったという事実が、如実に物語っている。しかし、それよりもはるかに早い時期に、彼は一つの記録を打ち立てていた。彼は実際の年齢よりもずっと優れていたために、マドリード近郊の彼のホームタウン、Fuenlabradaでのジュニアの大会に出場する際に、年齢をごまかした。彼は7歳だったが、出場可能な最低年齢は8歳だった。彼はプレーするどの年代でも、ゴールと出場記録を全て塗り替えてきた。
9歳の時、彼は父に連れられてアトレティコのスタジアムとトロフィールームを訪れた。彼は言った。「トロフィーの写真を見たことはあったけど、現物を間近で見たり触ったりしたことはなかったんだ。あの日はそれを両方ともできた。幸運なことに、その後僕はもう一つか二つ、それを手にすることができたよ。僕は、家族がトロフィーについて話すのを何度も聞いてきた。世界クラブカップ、リーグトロフィー、アトレティコが勝ち取ってきた数々のカップ。あの日、僕は自分がそれまでいつも想像してきたものをこの目で見た。」

10歳までに、トーレスはクラブと契約を交わした。「僕の家族にとってそれは悪夢だったね。彼らがものすごい労力を使ってくれたから、僕はフットボーラーになれた。その時は全く結果は見えなかったのにね・・・僕が今日いる場所に到達できるとは、その時は僕たちの誰も想像すらしていなかった。」

「僕の父は午後になると、僕をOrcasitasの練習場に連れて行くために仕事場を離れなくてはならなかった。それから彼はまた列車でFuenlabradaへ仕事に戻って行ったよ。別の時には、母がバスと電車を乗り継いで僕を連れて行ってくれた・・・雨の日も焼けつくような暑い日も、僕を連れて行ってくれたよ。彼女はいつもこう言っていた。『もういやになったらいつでも、これ以上行く必要はないのよ。フットボールを続けるのが義務だとは感じないで。』ってね。でも僕は決して飽きることはなかった。」

彼が14歳になった時、トーレスは彼の年代ではヨーロッパ最高の選手とみなされるようになっていた。彼はスペイン代表でU-16のヨーロッパ選手権で優勝し、得点王となってその大会で名をとどろかせる選手となった。「あの大会後、僕は通りで人々に顔を知られるようになったんだ。」彼は言う。

トーレスは17歳でファーストチームデビューを果たし、2シーズン目にはアトレティコが2部から昇格する力となった。彼はスペイン代表でU-19ヨーロッパ選手権で優勝し、再び得点王となった。「オファーが舞い込むようになったのはその時からだね。」彼は言う。「例えばアーセナルから。」

最初は、トーレスはアトレティコを離れたいという気持ちは微塵もなかったが、今年がやって来るまでに彼の気持ちは変化していた。「誰もが欧州戦でプレーしたいと思っている。」彼は言った。「そういう経験をしたい、偉大な選手たちの中に加わりたい、ってね。」彼は自分が去らなくてはならないことを知っており、リバプールが彼が加わりたいと望む唯一のチームだった。アンフィールドは彼にとって簡単な場所ではないだろうが、彼は準備はできており、短期間でこれまで駆け上がって来たことが、自分の助けになると信じていた。

「今までたくさんのすばらしいことが僕の身に起こって来たよ。アトレティコの一部昇格、スペイン代表に招集されたこと。悪いこともあったけど、そこから人は学ぶことができる。デビューした翌月に昇格を逃したこととかね。あれは最悪だったよ。」

「僕がデビューを果たしたスペインの2部の時の選手としての自分と、今の自分とでは大きな差がある。フィジカルが大きく向上したし、何よりもピッチ上の動きが違う。時間があって出来ていないことがあれば、もっと良い動き方を勉強するんだ。もっと少ない走りで、もっとボールに触り、スタミナを調整し、守備でチームを助ける。ピッチ上の自分の場所をどこに置くべきか知ることは、試合の中で学ぶものなんだ。」

「僕はずっと昔に自分がプレーした試合を見る。良い試合も悪い試合もね。何もすることがない時は、U-16やU-19の選手権の試合を見たりするよ。それは思い出を呼び起こし、僕のやる気をちょっと盛り上げてくれる。」トーレスはこの競技に関しては情熱的だ。「バルセロナやレアル・マドリーとは違って、アトレティコの人々は結果よりも感覚なんだ。僕は楽しかったし、どの試合でも良い時を過ごしたよ。そして勝てれば最高さ。こういう考え方は祖父から学んだんだ。」

しかし、彼はリバプールでプレーすることに喜びを見出すだろうか?戦術家ラファ・ベニテスの元に作られたチームのスタイルでは、この純粋主義者をいつも楽しませるわけにはいかないのではないだろうか?

トーレスは、彼がスペインの2部でプレーするのを嫌っていたことを認めている。「スペースがないし、僕のプレースタイルには合わない。」

しかし彼は、自分がベニテスの戦術に素早く適応できると自信を持っている。「僕たち選手は、システムが選手に合わせるんじゃなく、僕たちがシステムに順応しなくてはならない。監督は、それぞれの試合に何が必要かによって選手たちを選ぶだろう。最高のプレーをする選手が、ポジションを掴むんだ。僕はプレッシャーと責任を感じながらプレーするのが好きだよ。それには慣れている。」

トーレスは、インテルを含むもっと高額のオファーを蹴って、リバプールを選んだ。アンフィールドへ移ることについて彼は言った。「僕の選択は金じゃなかった。これは個人的なチャレンジなんだ。僕は6年契約を交わし、自分の願いはここで6年間プレーすることだよ。リバプールはすばらしい選手たちの集まりで、そのに加われて幸せだ。もっとゴールを上げることができたらさらにいいね。」

彼のキャリアの日々を読むと、それはオーウェン少年のようである。怪我でさえ、ポジティブな側面を持っている。彼は2000年12月に足を骨折して手術を受けたが、外科医は彼の膝蓋骨の柔軟性に驚嘆し、今まで見てきた中で最もしなやかだと語った。

子供時代に地面に倒れた時は、完全に幸運というわけにはいかなかった。彼は前歯を2本折っている・・・今は差し歯である。しかし彼はこの競技への愛情を失いはしなかった。「子供の時はフットボーラーになりたいと思っていたよ。家中のみんながフットボールのことを話していた。全てがあまりにも早く起こって、そのことを考えてみる暇もなかったけど、僕は自分の夢を成し遂げたと思う。」

少年時代のヒーローは?「僕が一番すごいと思っていた人は、マイケル・ジョーダン、アトレティコの元選手のキコ、それから自転車競技選手のMiguel Indurain。」

マルコ・ファンバステンと比較されることについては?「彼は常に僕のお手本だけど、僕たちが似ているとは思わないよ。僕は彼のビデオをたくさん見たし、自分のポジションの中で一番好きな選手なんだ。歴史上最高のストライカーの一人だね。彼に追いつくにはまだまだ長い道のりだよ。」

トーレスはすでに、マドリードの美術館に自分の蝋人形を持っている。それはジョーダンとIndurain、ジダン、ラウルと並んで立っている。彼の父Joseはそれをとても誇りにしている。

「私が彼を練習場に連れて行き、彼がファーストチームにジャンプしたのはまだほんの数年前のことだ。」トーレス・シニアは言う。「そして今、私は彼がこんなに若くしてここまで来れたのが信じられないよ。」

トーレスがここまで出来たのは、彼の完全主義によるところが大きい・・・「練習で負けるのさえいやだ」という彼の姿勢だ。彼はアメリカのカリスマ心理学者、スペンサー・ジョンソンのポジティブシンキングに関する本「チーズはどこへ消えた?」を読んでいる。ビジネススタディコースをまだ終えてはいないが、彼は言う。「僕の一番の特質は、パワーだね。これまで僕は願ったことは全て叶えてきた。僕は幸運だけど、誰かが僕に何かを授けてくれたわけじゃない。運は重要だけど、それは自分で掴みに行かなくてはならないものだ。僕は、自分の才能を通じて何かを達成した人々をいつも賞賛しているよ。」

彼の成功と才能は、彼をスペインで有名な人間にしている。彼が身なりに気を使いすぎると非難されてもいる・・・彼の美容師がスペインのTVに登場するほどである・・・しかし彼は言う。「僕は自分がカッコつけているとは思わないよ。」

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試合のことを考えるとなんだか気が重い今日このごろですので、気分を変えようと、空気も読まずなごみ系の記事を訳してみました。一番印象に残ったのは「差し歯」(笑)。フットボーラーは大変ですね。
記事の最後がぷっつり切れていて続きがあるらしいのが読めないんですが、自分だけでしょうか?
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無題

今、やっと試合を観ました。
悪い部分が折り重なった当然の結果ですね。
相手のプレスに対して、ポジショニングとケアが全く出来てない気がしますね。(相互理解の乏しさとも言えます)だからボールを簡単に捌く事も出来ず、動き出しが遅くなり、囲まれて奪取される。ラインが下がり、(サイドを含む)中盤が機能しないためロングボール、クラウチ機能せず。って感じでしょうか。(クラウチが何をしたいのか、全くわかりませんwマークを嫌って下がってくるんでしょうが、展開もできない現状のチームでは意味のない行動に思えますね。)
だからラファのジェスチャーはゾーンを狭めろって事なのかなと納得してましたw。

動きの悪さにパコの事を考えてしまいますね。徐々に悪くなっている事を考えても。

正直、リスクを伴うとは言えラファはシステム変更を考えてもいいかも知れませんね。(過去にそれでスタートダッシュに失敗してるんですが。)ディテールの修正もままならないですし。
なんとか頑張ってほしい。

無題

クラウチは相当厳しい状況じゃないかと思います。彼がボールを貰いに下がってくるのは以前からそうなんですが、かといって前に張って待ってもポストがしっかり出来るかというと(苦笑)。サイン保留してる場合じゃないと思うんですけどね・・・。
そうそう、4-3-3ちょっと試して、すぐやめてしまいましたね~。昨シーズンの開幕ごろでしたっけ?今はサイドの選手に3トップ向きの選手が多いので、おもしろいんじゃないかと思うんですけど、ラファ頑固そうですから・・・。
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