公式HPより、親子に聞くUEFA Champions magazineのインタビューパート2。今回はシャビ&ペリコ・アロンソ親子です。インタビューアーはGuillem Balagueです。
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ペリコ・アロンソは、バルセロナでマラドーナやベルント・シュスターと共にプレーし、1985年にはラ・リーガ優勝を果たした攻撃的ミッドフィールダーだった。
しかしバスク地方の故郷で、彼はレアル・ソシエダが1981年と1982年に連続してタイトルを獲ったチームで果たした役割のために、崇拝を受けている。彼はスペン代表で20回プレーし、コーチの仕事に移る前、ソシエダで選手キャリアを終えた。2000年に彼はソシエダを引き継ぎ、そこで彼の息子シャビはユースから昇格した。
彼はたった10試合で監督を辞してクラブを去った。今は家族の鉄鋼事業の経営を手伝い、表舞台から退いている。シャビは、彼の父親がChampionsに話す時間を取ったのを「普通ではないこと」だと言う。
Guillem Balague:あなたの息子さんたちが、「パパ、僕はフットボーラーになりたい。」と言った時は、嬉しく思いましたか?
Periko Alonso:実際に選んだわけではないからね。彼らは非常に若い時にフットボールを始めた。それはすばらしい時期だよ。時を追うごとに、彼らは成長して行った。ミケルとシャビが二人ともプロの選手に育った、私たちは幸運だよ。
Balague:レアル・ソシエダのレジェンドを父に持つということは、シャビの力となったか、それとも障害となったか、どちらだったでしょうか?
Periko:彼のチャンスを妨げたと主張することも出来るかもしれないが、フットボールにおいてはあらゆる試合の日に力を注がなくてはならない、それだけだ。選手は名前が何であろうと、自分の価値は実証しなくてはならない。
Balague:あなたの時代から、この競技は変わっているでしょうか?
Periko:近年では非常に多額の金銭が動き、影響力は増している。戦術や準備の仕方は変わったが、実際のプレーは同じだよ。
Balague:あなたの現役生活最高の思い出は何ですか?
Periko:私には、ラ・レアルがとてつもない時代にこのクラブでスタートするという幸運があった。すばらしかったよ。バルセロナでの3シーズンは大きな誇りの源となっており、その後のサバデルでの3年間は並外れたものだった。我々は2部におり、昇格を果たした。忘れられない2年間だったよ。
Balague:ソシエダの最高の年月でした・・・
Periko:彼らにそれよりもさらに良い時が来るかどうかはわからないが、良い時代だったよ。優れた選手の集団だった・・・アルコナダ、サモラ、サトゥルステギ、ウファルテ。物事はうまく進み、怪我に関しても幸運だった。あの頃を振り返ってみると、選手たちをキープするのはもっと簡単だった。だから我々のコーチ、ホセ・ルイス・オルベゴソはチームを一つにまとめておくことが出来たんだ。
Balague:あなたがバルサとサインする前、外国からのオファーは受けましたか?
Periko:その当時はそれはもっと難しかった。グローバル化が今は影響しているね。それは選手たちにより広い人生の経験を与える。誰にとっても良いことだよ。
Balague:息子さんにあなたの選手経験を話したりはしますか?
Periko:ああ、しかし理解するのに一番良い方法は、その頃のビデオを見ることだね。私たちは何度もそれをしたよ。プレーしていた時、タイトルを獲った時の感覚は、言葉で表現するのは難しい。それにはそこにいてその時を体験しなくてはならないが、レアルのファンにとっては決して消え去ることのない思い出だ。
Balague:そして、あなたのヨーロピアンカップの思い出は?
Periko:私は1試合しかプレーしていないからね・・・CSKAソフィアとの2戦目、バケーロが膝にひどい怪我を負って、我々は敗退した。しかし、記憶に深く残るUEFAカップのインテルとの対戦があるよ。アウェイのファーストレグのハーフタイムには0-0だったが、我々は最後には3-0で敗戦した。そしてセカンドレグでは2-0にし、我々は後もう少しでイーブンにまで持ち込めた。熱い試合だったよ。私にとっては、アトーチャでプレーした中で最もエキサイティングな試合の一つだった。
Balague:大一番の前にはナーバスになりましたか?
Periko:試合が際どい時にはね。偉大な選手が力を増すのはそういう時だ。チャンピオンズリーグの試合はそういう風に際どく、特別な魅力を持っている。
Balague:シャビがチャンピオンスリーグでプレーしているのをご覧になって、どんな風に感じますか?
Periko:彼らがイスタンブールで優勝したあの年・・・チェルシーとの準決勝は、アンフィールドはすばらしい雰囲気で感動的だったよ。そしてもちろん、その後の決勝だ。信じられなかったよ。選手として自分がああいう経験が出来たら、本当に嬉しかっただろうね。
Balague:そういう試合について、彼は何と言っていますか?
Periko:シャビにとっては、語ることの出来るすばらしい物語だ。クラブレベルで獲得できる最大のタイトルを獲ったんだからね。彼が何歳だったか正確に覚えていないが、まだ23か24だった。しかし彼にとってすばらしい経験だったよ。
Balague:あなたシャビを見にアンフィールドによく来ていますか?
Periko:十分とは言えないね。私たちは、行ける試合をいつも楽しみにしているんだ。ビリビリするような雰囲気だよ。彼らが試合が始まる時に歌うあの歌を、私は決して忘れないだろう。観客は本当に敬意に満ちている。アテネでは、リバプールサポーターたちはミランの選手たちが名誉のグランド一周をするのを、彼らを称えるために待っていた。その後で、彼らは家に帰るためにスタジアムを去って行った。彼らは良い人々だよ。
Balague:イングランドのプレミアリーグの強さについては、どう思いますか?
Periko:トップ4のチームを見てみよう。どのチームも大勢イングランドの選手がいるわけではないが、その資金力で、彼らは最高の選手たちを引きつけている。他にも優れたクラブがある・・・エバートン、ポーツマス、マンチェスター・シティやブラックバーン・・・それらのクラブは皆、もう一段階ステップアップが必要ではあるがね。
Balague:シャビがプレーを始めた時の思い出は何かありますか?
Periko:さっき言ったように、自分の息子がフットボールをやりたいと言ってきた時に、こちらから言ってやれることはあまりないんだ。子供がビーチでボールを蹴り始め、それから学校で、子供の大会で、そしてランクを上げて行く。Sanseでの時のことを覚えているよ。エバイルでの時期は彼にとって本当に良かった。何かアドバイスをしようとしても、注意深く責任を持ってやらなくてはならない。彼はレアルでもすばらしい時を楽しみ、リーグ2位まで到達した。しかしフットボールでは、やって来るその日その日をしっかりと受け止めなくてはならないんだよ。
Balague:彼にどんなアドバイスをしましたか?
Periko:まず何よりプロフェッショナルであれ。毎日全力を尽くして練習し、勝利への飢えを保ち続ける。これが本当に重要なことだ。シャビはそれに飢えているよ。
Balague:ではシャビ、あなたのパパが選手だった時の思い出は何かありますか?
Xabi:ミケルと僕は、僕のパパがサバデルに所属していた時に、練習に行けるという特権が与えられていたよ。土曜の午前には彼らが一方のゴールで練習をしていて、僕たちは反対側でボールを蹴っていた。僕は5つか6つで、これが普通ではないということにすぐ気がついたよ。他の子供たちはそんなことは出来なかった。僕たちが大きくなるに連れて、彼がボールをパスするのを見て楽しんだし、随分パスを練習したよ。そこで僕たちはミッドフィールダーになることを学んだんだろうね。僕たちのプレースタイルはボールをパスすることで、ゴールに蹴り込むのはあまりやらなかった。バーや石に当てて遊んで、正確さを鍛えたんだよ。僕たちが大きくなるに連れて、彼は僕たちがフットボールを楽しんでいることに気がついた。しかし、僕たちの上に立って何かをしろとは決して言わなかったよ。彼からのプレッシャーを感じたことは一度もない。
Balague:最も気に入っている瞬間は?
Xabi:彼がバルセロナにいて、レッドスターと対戦した時、マラドーナがゴールを奪ったんだ。誰も予想していないゴールをね。プロフェッショナルの仲間が予想もしていないことをやるというのは難しいよ。
Balague:彼はあなたに何かアドバイスをしましたか?
Xabi:地に足をつけていろ、ということだね。物事が上手く行っている時は、自分は人が言うほど良くはない。そして上手く行っていない時は、人が言うほど悪くはない。子供に起き得る最悪のことは、間違った期待をされることだ。僕のパパは、フットボールよりもむしろ学校のことでアドバイスをする方が好きだったね。僕たちは、「パパ、僕はフットボーラーになる」というような会話を交わしたことは決してなかったよ。そういうことは、ちょっとずつ自然になって行くものなんだ。レアルが僕の兄と僕のところに来て、僕たちはB-チームでプレーを始めた。その時からあらゆることがもっと真剣になった。僕はレアルでデビューを果たし、戻る道はなかったよ。時が未来を作るんだ。
Balague:では、リバプールに移籍した時には?
Xabi:パパがアンフィールドに来た最初の試合を僕は覚えているよ。(2004年の)モナコ戦だった。彼はクラブの人達に会い、その姿勢、雰囲気、情熱を見てこう言った。「息子よ、すばらしい選択をしたな。お前はフットボールを楽しむだろう。」
Balague:アロンソという姓であるということは、あなたの助けになっていますか?
Xabi:有名な父を持つことが、何か自分に不利になったと感じたことは一度もない。最初は、僕たちのことを良く知らない人間は、それが僕の助けになって、彼のおかげで僕は居場所を得ていたと言うだろう。しかしその後しばらくすれば、そういう人々を黙らせて、僕を前進させているものは姓以上のものなんだということを認めさせることが出来るよ。
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アロンソのあのピンポイントパスを生み出したのは、サバデルの練習グラウンドだったんですね。二人の兄弟が父のプロのグラウンドでボールを蹴って遊んでいる、いいですねえ。フットボーラーになるための環境に恵まれていたんだと思いますが、それを生かして二人ともトッププロになれたのは、彼らの努力はもちろん、父親の姿勢ではないかと思います。
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