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FIELDS OF ANFIELD ROAD

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キャラの自叙伝は9月11日に発売。ミラー紙やエコー紙にその内容の一部が紹介されていましたので、訳してみました。全部まとめて載せたので、ものすごく長いです。
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===イングランド代表に思うこと=== (ミラー紙)

俺たちをドイツワールドカップから連れ出すための準備をしているイングランド代表バスに腰を下ろしながら、俺はメールを受け取っていた。
「F*** it!たったのイングランドのことじゃないか。」俺は準々決勝のポルトガル戦で、PK戦の自分のPKを外したばかりだった。俺の周りには、期待外れの出来だったスーパースターたちの涙に濡れた顔があった。
イングランドのいわゆる黄金世代は失敗した。またしても。
ホテルに戻る短い移動中、俺たちを取り巻く不気味な落ち込みの中で、しかし俺は自分の電話を見つめながら、その慰めのメールが含む意味を考えていた。他の選手たちに感じられる空虚さと同じものを、俺は感じてはいなかった。イングランドのほとんどのフットボーラーは、俺の大勢の親友を含めて、「たったのイングランド」というような概念は持ち合わせていない。祖国を代表することは究極の名誉で、それがワールドカップなら特にだ。
俺は違う。トーナメントを勝ち上がることを重要だと思っていたか?もちろんだ。熱烈に。
あの敗退での自分の仕事に腹を立てていたか?YESだ。俺はあれだけ重要なPKを外したことに、精神的に打ちのめされていた。母国のために本当に全力を尽くしたか?疑問の余地なく。どんな試合であっても俺は100%を下回ったことはない。

こういうことにも関わらず、イングランド代表でがっかりするような経験をして俺が家に帰る時はいつでも、揺るぎない、他の何にも優先する考えが心の先頭に押し出されて来た。代表のほかの選手たちがどれだけ嘆いていようとだ。「少なくともリバプールじゃない。」俺は心の中でそれを何度も繰り返した。

バスの中で俺が受け取った慰めのメールには、ケニー・ダルグリッシュからのものもあった。「私はLFCよりもイングランドの失敗の方がましだ。」俺は読み返した。
俺は告白する。イングランドのシャツを着ることが、俺のクラブでの敗戦と同じように俺を傷つけることは決してない。俺は無頓着でも無関心でもなく、ただ単にイングランドの成功が俺の優先リストのトップにないだけだ。敗北は、大きな不幸というよりもむしろ失望のように感じた。

俺の忠誠心をめぐる戦いでは、ライバーバードがスリー・ライオンズを叩きのめした。それが正しいとか間違っているとは言っていない。ただ単にそうだというだけだ。そういう感情がそこになければ、より情熱を感じることはできない。俺はそれを罪だとは感じない。人が俺を愛国心に欠けていると非難したいなら、そうすればいい。
リバプールのためにプレーすることがまず自分の仕事だ。イングランド代表に伴うものは特別の名誉だが、それは最も大事なものではないし、この競技における俺の最終目的でもない。

俺たちは皆、この国にとっての1966年の重要性については聞いているが、俺の家族にとってあの年の一番重要なイベントはウェンブリーでのもので、エバートンのFAカップ優勝だった。リバプドリアンは、アンフィールドでビル・シャンクリーが彼の2度目のリーグ優勝を果たしたことを、あのシーズンについて同じように感じている。

1986年のメキシコワールドカップでディエゴ・マラドーナがイングランドを敗退させた時は、10分後に俺は外に出ていて、友達とあの神の手ゴールを真似て遊んでいた。もしもそれがFAカップの準決勝でのエバートンの敗退だったら、俺はその日はもう誰とも話したくはなかっただろう。

ウェンブリーは俺たちがFAカップ決勝に行くスタジアムかも知れないが、それでも距離を隔てた慣れない場所で、違うタイプのサポーターたちが同居している。俺は自分がイングランド代表でプレーし始めた時、それにはっきりと気がついた。わずかな悪意の刃がそこには常に存在し、ほんの数分間のうちにムードは幸福感から悪意に変化する。
イングランド代表チームはちょっと経験の浅いファンを引きつける磁石で、根拠なく言ってもいいなら、それはトップクラスのフットボールだからなんだろう。
リバプールの観衆は、俺たちを引っ張って勝利のラインを超えさせることで称賛を受けて来た。そして同じことを、ウェンブリーのイングランド代表ファンで聞いたことはない。背を向けて相手チームの方を助けるように見える時がある。

優越感もさらに大きくなっている。イングランドは、全てのワールドカップとヨーロピアン・チャンピオンシップで優勝に迫るべきだと思われている。これに応えられないことが、必然的にさらに多くの批判を生み出している。しかしそれに歴史的な正当性はなく、俺たちの全ての記録を見てみれば、イングランドは世界のフットボールでは第3グループに入っている。

そもそも、俺はイングランド代表でプレーするのを愛していたことは決してなかった。代表を引退する頃には、とてつもなく重い重量挙げのように感じていた。
俺は自分の決断について非難を受けたが、俺の代表での記録を見てみれば、自分が罪人というより、むしろ被害者だと思っている。俺は決して招集を回避したことはなかったし、ちょっと痛いぐらいでは辞退しなかかった。しばらくの間はU-21のキャップ記録を持っていた。ほとんど他の選手の控えと見なされているにも関わらず、俺は決して文句は言わなかった。スベン・ゴラン・エリクソンやスティーブ・マクラーレンが俺にプレーしろと言えば、騒ぎ立てることなくピッチに出て行った。

俺は、エリクソンが国際的な監督なのか、それとも国際的なプレーボーイなのか確信が持てなかった。彼が何で最高だったかを俺は知っている。彼がこの仕事を長くやればやるほど、彼のフットボールコーチとしてのステータスは落ち、カサノバとしてのステータスは上がって行った。
彼の最初のワールドカップ予選の前、女の子たちがチームホテルに入り込む方法を見つけて、一部の選手たちに試合前の『お楽しみ』を提供したという話が持ち上がった。エリクソンは俺たちを呼び出し、俺たちは厳しい警告をされることを予想していた。その代わりに、俺たちは父親からのようなアドバイスを受けた。

「女の子たちをチームホテルの中に入れる必要はない。」スベンは言った。「もし気に入った子がいたら電話番号を聞き出して、試合後に彼女の家に行くようにしておけばいい。そうすれば問題にはならない。」

エリクソンはワールドカップでポルトガル戦を落とした時にその責めを負ったが、しばらくの間は敗因探しは俺にも集中していた。エリクソンのアシスタントTord Gripは俺のPKのミスを、あたかも俺たちの敗退の原因の筆頭のように強調していた。
なんで俺があのPK戦のキッカーに選ばれたのか尋ねた時、彼は、俺がチャンピオンズリーグの決勝で実にうまくPKを蹴っていたからだと説明した。
2005年以来、俺はあのイスタンブールで勝利したPK戦を1000回は見たが、俺がPKを蹴ったことはまだ思い出せない。イングランド代表のアシスタントマネージャーがそれほど無知だというのは、考えてみると恐ろしいことだ。


===ラファ・ベニテスとの出会い=== (ミラー紙)

ラファ・ベニテスは自己紹介をし、自分の英語のつたなさについて謝り、握手をして、アンフィールドで最も実績のある3人の選手を、その意見を聞くために招いた。彼が自分の統治に対する最初の信任投票を望んでいたんだとしたら、きっとがっかりしただろう。
「僕は、あなたが僕たちをどれぐらいひどいと認識しているかわかりません。」ぶっきらぼうな答えだった。リバプールにようこそ、ラファ。

全く恐れず新しいリバプールの監督の目を見て、初めての意見交換でこの率直な警告を発した人間、それが俺だと言えたら嬉しい。それはスティーブン・ジェラードだった。まるでボールを勝ち取るために彼がする最も凶暴なタックルをかますように、彼は耳の痛い真実をラファにぶつけた。

ベニテスが初めてここに加わった時、俺は他のほとんどの選手よりも彼に近いものを感じていた。俺が彼とすぐに上手くやっていけたのは、彼がジェラール・ウリエと同じ特徴を持っていたからだ・・・それはこの競技に対する献身ぶりだ。
ウリエはいつも、俺にビデオを見せてミスから学ばせようとやっきになっていた。ベニテスはそれをさらにやった。彼は俺に、1980年代のアリゴ・サッキの指揮する伝説的なACミランチームのDVDを手渡し、特にフランコ・バレージの動き方とディフェンスの組織を良く見て欲しがっていた。彼はすぐに、俺のピッチの上でのアグレッシブなスタイルを自分がどれほど気に入っているかをはっきりと示した。俺が自分のファイティングスピリットをどの程度広げようと思っているかについては、彼は誤解していたが。

ラファは早いうちから、俺のタフさをチームメートに注入して欲しいと言っていた。バーミンガム戦の敗戦の後、監督はトレーニング後に俺を引っ張って行って、彼がバレンシアにいた時の話をした。
「チームのメンバーが試合中に正しい態度を見せなかった時は、あのアルゼンチン選手(アジャラ)は、自分の仕事をしなかったチームメートとシャワールームで取っ組み合いを始めるよ。」彼は言った。俺は監督が冗談を言っているんじゃないことを確かめるために彼をまじまじと見たが、彼の目に輝きがあるのがわかった。「遠まわしに言ってるんだな」俺はそう思った。

「俺はそうじゃないと思います。」俺は丁寧に、パフォーマンスの悪かった仲間には、自分は身体よりも言葉でやっつける人間なんだということをラファに説明した。しかし、彼が気に入らなかった選手を厳しく非難するお墨付きを俺に与えたということは、彼の俺に対する信頼の証であり、それは嬉しかった。

ベニテスのディフェンスに関する知恵は、俺が最も感銘を受けたことだった。それは、俺が今まで楽しんでやってきたことからのステップアップだった。ウリエは俺をプレミアリーグのトップクラスの選手へと導いてくれたが、ベニテスは、ジェイミー・キャラガーというディフェンダーそのものに、ものすごく大きな影響をもたらしてくれた。
彼は俺のベストを引き出し、俺をヨーロッパレベルのセンターバックへと変えた。ラファの元で、俺は自分のキャリア最高のフットボールを続けている。あらゆるトレーニングセッションが、俺がどうやったら自分のプレーを向上させられるかというアドバイスを含んでいる。
彼が自分のチームに対して冷たいという評判にも関わらず、俺は自分のパフォーマンスについてたくさんの称賛の記事も読んでいた。監督が公に自分を称賛しようとしまいと、俺は決してそれを気にかけたりはしない。背中を叩いて誉められるのは、チームシートに名前があることに比べれば2の次だ。

ウリエと違い、ベニテスはプレスで誰かを称賛することをほとんどしないという評判をあっと言う間に身につけた。だから、彼が誰かのことを熱心に話す時、それはより大きな意味を持つ。
ある夜、俺はエコー紙を取り上げて、ヘッドラインにベニテスが俺とロベルト・アジャラを比較しているのを見つけた。彼がバレンシアで監督をしていた時の、偉大なアルゼンチンディフェンダーだ。
俺は自分がアジャラクラスではないことを知っていた。もっと肝心なことを言えば、俺はベニテスが自分をアジャラと同じぐらい優れているとは思っていないことも知っていた。しかし彼がそう語ったことは、確実に俺の自信をぐっと高めてくれた。

ベニテスは、チェルシー戦の前の記者会見でその策略をまたやった。しかしその時はちょっとした皮肉を含んでいた。

「私はメディアに、君はジョン・テリーよりも良い選手だと言っておいたよ。」ラファは俺に言った。それから彼は笑い出して、自分の鼻に手を置いてピノキオを真似てそれを伸ばし、嘘をついたというジェスチャーをした。
チェルシーとのチャンピオンズリーグ準決勝の前に、俺は記者会見の当番になり、そこで仕返しをした。「彼らは君に何を聞いて来た?」ラファは俺に質問した。「俺は彼らに、あなたはモウリーニョよりもいい監督だって言ってやりましたよ。」俺はそう言って、それからピノキオの真似をやり返した。

ローテーションについての疑問は、ラファがある試合から次の試合に喜んで5、6人の選手を代えることで、繰り返し言われ続けている。その疑問は、俺たちがリーグ優勝を果たすまで答えは出ないだろう・・・シーズンの早い段階で変更をすることが、俺たちのタイトル獲得のチャンスにどれだけ影響を与えるのか?

俺が言えるのは、自分が決してそれが好きではないこと、そしてイングランド人だろうと外国人だろうと、それが好きなフットボーラーは決していないと俺が信じているということだ。
肝心な問題は、それがチームの倫理を損なうということだ。どれだけ良いプレーをしていようとどんなに簡単に外されるかがわかって来ると、チームの中に身勝手さが忍び込んで来る。試合に負けても、自分ひとりが良いパフォーマンスが出来ていれば、これでポジションをキープできるかもしれないと喜ぶ選手が出てくることを、俺は想像できる。
安定したスタメンがあれば、結果がどんな個人よりも前に来て、そんなことは起こらない。チームの中には骨組みが必要だ。ベストの11人がその出来に基づいて自分の場所を掴み取り、その選手たちは自分たちの標準を高く保たなくてはならないことを知っている、そういう状態だ。
俺たちのようなクラブ、1シーズンに50試合以上もプレーするようなところでは、そういうことが要求される。俺の考えでは、毎週プレーする選手は少なくとも8人は必要で、残りの選手がポジション争いをするのがいいと思う。マンチェスター・ユナイテッドやチェルシーがやっているようにだ。もし誰かが調子を落とせば、その人間が外れる。


===イスタンブールの真実=== (Liverpool Echo)

人は俺に、ハーフタイムの前のあの時に俺の心に何が通り過ぎて行ったかと尋ねる。ドレッシングルームに歩いて行きながら、俺は失望と屈辱の気の滅入る組み合わせに苦しんでいた。頭を上げて、観客の顔や、アタトュルク中に散らばるバナーや赤いジャージを一瞥することに耐えられなかった。前方の床を見つめ、果てしない落胆だけを眺めていた。俺の夢は塵に変っていた。試合のことはもう考えていなかった。俺の思いは、家族と友人に向かっていた。本当にすまないと。

馬鹿な、つまらない考えが俺の心を巡っていた。『家にいる皆はこれを見て何て言っているだろう?』というような。家に帰って物笑いの種になるという考えは、俺を動揺させていた。町中が、国中が、世界中が俺たちを笑い飛ばしているような気がした。悲しみと共に恥ずかしさがあった。リバプールファンはスタジアム中を占拠しており、俺たちがそれに報いられることは何もなかった。

俺は、決勝までたどり着いたことをほとんど後悔し始めていた。ユーべとチェルシーを倒したあの成果の全て、それはACミランが俺たちを凌駕し、ヨーロピアンカップ決勝でこれまでで最大の点差をつけての勝利を許すことになりそうだった。
彼らは1994年と1989年の決勝でバルセロナとステアウア・ブカレストを4-0で下しており、あの時の俺は、俺たちが悪い意味での歴史を作ることを恐れていた。5、6失点をしての敗北記録を作って終わることだ。3-0のままをキープして最低限の世間体を取り繕うこと、それがあの時の俺にとって重要な全てだった。

ドレッシングルームに戻った時、何か言葉を発する選手は誰もいなかった。リバプールの伝説の15分の神話というのがあるが、とてもそんな感じじゃなかった。ああいう状況でも決してあきらめない、それは一筋縄ではいかない試練だ。9ヶ月間に渡っての苦難の道が大失敗で終わり、俺たちの野望がずたずたに引き裂かれる、それを認めるのは簡単だっただろう。精神的に俺たちは自分を失っていたが、この運命を受け入れるのは俺らしくないということはわかっていた。たとえどんなに状況が悪かろうと、俺たちは自分の責任に顔を向けなくてはならない。

幸運にもドレッシングルームの中には、俺たちの打ちのめされた魂を立て直す準備が出来ている、正気の頭が少なくとも一つあった。アタトゥルクのドレッシングルームの中で、ラファ・ベニテスがアンフィールドの伝説に残る自分の立場を固めていた。
あの状況を立て直した彼の手腕に対する俺の称賛は無限大だ。あの状況にも関わらず、ラファの指揮ぶりはほとんど変ることがなかった。彼の冷静な振る舞いは、まさにあの時必要とされたものだった。

個人的に言えば、彼はあの時俺たちと同じことを感じていたに違いないと思う。彼も、自分の家族のことや、スペインの人々が彼のチームがボコボコにされているのをどう思っているか、それを考えずにはいられなかっただろう。

さあ、未だに英語に苦労している彼は、不可能を可能にするために俺たちに指示を出そうとしていた。
「幸運を祈る」俺は心の中でつぶやいた。

変更を説明しながら、彼は感情のそぶりも見せなかった。しかし彼が編み出した一連の戦術の切り替えを説明する、そのスピードが彼が今もどれだけ鋭く切れているかを証明していた。
最初に、彼はトラオレにシャワーを浴びるように言った。それは彼が選手に交代を告げる時の丁寧な言い回しだった。ジブリル・シセが右サイドに入るように言われ、既にシャツを脱ぎ始めていた。
ジブリルがシャツを着替えている一方で、スティーブ・フィナンとフィジオのDave Galleyの間で議論が巻き起こっていた。フィナンは鼠径部を痛めており、Daveはラファに彼を交代させるべきだと思うと告げていた。

フィンは狼狽し、残してくれと懇願していた。ラファは動かされなかった。
「キューウェルの負傷交代で既に交代枠を一人使ってしまったから、我々にはあと2つしか残されていない。」彼はそう説明した。「私には今2つを使ってしまう余裕がないし、君が残ったら最後の交代枠を失ってしまう。」

トラオレがシャツを着直すよう告げられた。それから、あたかも何かがぱっと閃いたように、ベニテスは不意に決断を下した。
「ハマンがフィナンの代わりに入り、我々は3-5-2でプレーする。」彼はそう説明した。彼の声には確固たる自信があり、それは少なくともつかの間、俺に自信を与えた。
「ピルロが中盤でこの試合を動かしている。ルイスとスティービーが彼の周りでプレーし、中盤を制圧して欲しい。そうすれば彼はボールをパスできなくなる。」

この決断の素早さが、彼はこのフォーメーションをもっと早くから考慮していたのかもしれないという俺の気持ちを強くさせた。同じ形はトリノで機能していた。あの時は純粋な守備的戦略ではあったが。
「OK」俺は心の片隅でこう考えていた。「45分は遅すぎるが、俺たちは結局そこに行き着いたか。」あの状況では、それでもまだ勇敢な手だてだった。

今はシセとハマンが2人とも交代で入る準備をしており、問題が一つだけあった。
「ラファ、俺たちは12人で行こうとしているぞ。」
ジブリルが交代で入るのをしばらく待たなくてはならなくなった。

見る影もないドレッシングルームから俺たちが出て行った時、マルディーニがその顔に鋼鉄の意志を浮かべながら彼のチームを率いて戻って来たのを見て、俺は決して勇気づけられなかった。
ハーフタイムに、ミラン側で早すぎるセレブレーションがあったという話があった。俺は、彼らの振る舞いに関するあの嘘の塊には腹が立った。トラオレは試合後のインタビューでイタリア人たちが3-0になってうぬぼれていたことを示唆したが、彼はインタビューに答えるのに世間知らずで、それが新聞によっておとぎ話に捻じ曲げられてしまったんだと思う。
単に、そんなことは起こらなかった。ミランはそんなことをするには遥かにプロフェッショナルだ。彼らのキャプテン、彼ほどの経験を持つ男が、ドレッシングルームの誰かがもう勝利は決まったように振舞うのを許すことなどあり得ない。俺はミランがシャンペンを開けている兆しなど見なかった。彼らのことは本当に尊敬していて、そんなことは俺には思いもよらない。それにたとえ彼らが密かにカップは手中にしたと考えていたとしても、誰がそれを非難できる?競技場に再び向かって行きながら、俺はミランが優勝することを確信していた。それはイスタンブールの4万人のスカウサーも同じだった。だから、彼らがそれを信じない理由はどこにもなかった。

遠くから"You'll Never Walk Alone" が聞こえて来て、トンネルを歩いて行くと共にそれは大きくなって行った。しかしそれは、俺たちのアンセムのいつものバージョンではなかった。
KOPがジェリー・マースデンのマージーサイド・クラシックを召還する(※YNWAを歌う)時、それがいつもとは違う時がある。いつものホームゲームの前に聞こえるのは耳をつんざくような叫び、それは俺たちを鼓舞し、相手チームを脅かして屈服させるようにだ。もし俺たちが大一番で勝利が間近なら、その時も歌は聞こえる。それはセレブレーションだ。
しかし、歌の言葉がさらに偉大な意味を持つ、また別の場合がある。そしてイスタンブールのハーフタイムにファンが歌っていたのは、信念というよりも共感だった。
それはゆっくりとした悲しい響きで、まるでほとんど賛美歌のような歌われ方だった。ファンは間違いなく、俺たちの代わりに祈っていた。

俺にとっては、それはサポーターのこんな言葉だった。「俺たちは今もお前たちのことを誇りに思っている。俺たちは今もお前たちと共にいる、だから頭を落とすな。」
その中にはおそらく、わずかに警告の意味もこもっていた。俺は自分のポジションに戻って行きながら、罪悪感のようなものを感じていた。「これ以上俺たちをがっかりさせないでくれ。」

俺たちのコーチ、アレックス・ミラーのハーフタイムの最後の俺たちへの指示は、「ファンのために1ゴールを決めて来い」だった。
それが俺たちの心境だった。1ゴール決めれば、プライドは回復できるかもしれない。


===エピソードいろいろ===

●リゴベル・ソングと(ミラー紙)

俺が右サイドバックの自分のポジションを確立してから、アフリカ人ディフェンダー、リゴベル・ソングは自分がチームから外れたことに気がつき、俺たちのそれまでの健全な関係はたちまち悪化した。
ある午前のトレーニングで彼は、俺がそれまでのサイドバックのいいパフォーマンスでイングランド代表に召集されたことを知らされた。ソングの顔には驚きの表情があった・・・彼が自分はまだ21歳だと主張する時、俺たちが彼によくして見せるような表情にちょっと似ていた。おまけに彼は、俺が代表でフットボールをやるほど上手くはないと思っている彼の考えを、うっかり漏らしていたのかもしれない。

彼はフランス語を話す友人たちのところにぶらぶら歩いて行き、彼らと話し始めた。皆にやにや笑っていて、彼が俺を指差しているのが見えた。彼が何を言っているかは明らかで、俺の中で激怒が煮えたぎった。

その後、ソングはにこにこ笑いながらトレーニングピッチに入って来た。1時間後、彼はしかめっ面で足を引きずりながら出て行った。最初にチャンスが来た時、俺は彼にやってやった。あれ以上の貪欲さで50-50のタックルを狙って決めたことは、俺は決してない。

「今はf***ingな笑いは浮かべてないじゃないか、この軟弱野郎」俺は脚を引きずって去って行く彼に言った。

彼が不運な目にあったことを俺が気にしたかって?とんでもない。彼でもチームの他の誰でも、俺の能力に再びけちをつけようとした奴を俺は思い出せない。

●ビクトリア・ベッカムと父さん(ミラー紙)

ワールドカップでのThe WAGs(Wives And Girlfriends イングランド代表選手たちの妻や恋人の派手さを揶揄した言葉)はものすごく面白かった。彼女たちの非公式の女王、ポッシュ・スパイス、彼女は俺の父さんをボディガードに採用した。

彼らは何てペアを作ったんだろう。俺の父さんが最初にビクトリア・ベッカムに会ったのは、2004年のポルトガルでだった。ホテルのロビーで彼女が彼の方向に歩いて来た時、彼は自分が完全なパニックに襲われていたことを認めた。彼はホテルの洗濯室に行く途中で、ポッシュが近づいて来るのにあまりにも慌てふためいて、自分の汚い洗濯物を取り落とした。

その結果、デザイナーブランドに身を固めてハイヒールを履いたポッシュが気取って歩き過ぎて行く横で、彼は四つんばいになって自分の臭いパンツを必死になって拾い集めていた。

2006年のワールドカップの頃までには、ポッシュはジャーナリストたちから自分を守るために、彼の力を借りるようになっていた。彼女がパパラッチをしかめ面で脅してくれる誰かが必要になった時には、彼女はバーで彼を見つけていた。

●ディディ・ハマンのスピード不足(ミラー紙)

世界クラブ選手権のために1週間を過ごし、1-0で敗退して意気消沈した後で、俺たちはホテルの部屋にいるよりも東京をもっと見ようと決めた。しかし俺たちはバーを見つけてファンたちと一緒に酔っ払って歌い、仲間のほとんどはホテルに戻ったが、それが、サポーターたちが選手たちを運んでいるタクシーをなんとか止めようとして飛び込んで来る合図になった。

警察が到着し、タクシーに飛び込める距離にいる人間を片っ端から捕まえていて、その中には俺とディディ・ハマン、友人のミック・ラフィーも含まれていた。俺たちのフライトは翌朝一番だったから、もしも留置所で一夜を明かすことになれば面倒なことになりそうだった。それで、俺たちは急遽ランナーに早変わりした。ミックが邪魔をしてくれるファンを何人か捕まえて、警察が彼らに飛び掛った時に俺は全速力で逃げ出しながら、ディディにも同じことをするように叫んだ。

最終的に俺はタクシーを捕まえてホテルに戻ったが、彼は逃げ出すのに失敗して留置所で一夜を明かした。かわいそうなディディ、彼の速さじゃ仕方がないな。

●プレミアリーグタイトル(ミラー紙)

俺は自分のメダルコレクションをじっと見つめる。そこにはぱっくり口をあけた未練たっぷりの穴が空いている。それは、俺が赤いシャツを身につけている最後の時、その恐ろしい瞬間までに決して埋められないのではないかと恐怖を抱く空間だ。

30歳になって以来、タイトルメダルを持っていないという痛みはひどくなりつつあるように思える。俺たちがプレミアリーグの日照りを終らせるのに迫ったことがあるかどうかさえ、俺は議論することができない。
他のトップクラブと共に時間がライバルになり始めると共に、痛みはますます強くなる。リーグタイトルを勝ち取るための俺の時間は、今のリバプールとの契約で残された3年間だけかもしれない。そしてそれを達成できなければ、俺は病気になるだろう。俺はこの最終目標に執着し、アンフィールドにリーグタイトルを取り戻すという自分の決意に取りつかれている。

俺がタイトル獲得のことを考えるのは1日1度だけでなく、時には午後だけで半ダースもそのことを考えている。リーグタイトル獲得はリバプールの執念になっているが、一方でサポーターたちは野望を実現するためには彼らの寿命があり、選手としての俺はチャンスを使い果たしつつある。

ネガティブに聞こえて欲しくはないが、俺はこれが実現できない可能性に心構えをしておかざるを得ない。もし俺がタイトルを取れなければ、自分の中で決めた水準を考えれば、俺のキャリアは部分的に失敗だったとみなすことになるだろう。

●ルーカス・ニールと(ミラー紙)

2003年9月、ルーカス・ニールの恐ろしいタックルで俺が脚を骨折した時、もしも俺が行けと言ったら、俺の友人は彼を追いつめる用意が出来ていた。
怪我の数週間後、俺は一本の電話を受けた。「信じられないだろうが、ジェイ、俺たちはトラフォード・センターの中にいて、ルーカス・ニールが俺たちの方へまっすぐ歩いてくるぜ。お前どう思う?」

俺はニールをやっつけて欲しかったかって?「問題がひとつだけある。」声はそう続けた。「小さなデヴィッド・トンプソンが、彼と一緒にいるんだ。」

それでおしまいだった。俺の親友の一人であるデヴィッド・トンプソン、今はブラックバーンの選手だか、彼を襲撃の目撃者にすることはとても出来なかった。それに彼は襲撃者に見覚えがあっただろう。場当たりのミッションは中止され、俺はThommoに、ニールは彼をハグして感謝するべきだという内容のメールを送った。

このニアミスについての言葉がブラックバーンに伝えられたのか、それともヒントになったのか、彼らのコーチ、スカウサーでもあるTerry Darracottが俺の友人の一人に、仲間たちを止めるよう求めた。俺は賛成だった。

●父さんとケニー・ダルグリッシュ(ミラー紙)

子供の頃初めてリバプールに加わった時、ケニー・ダルグリッシュが俺が誰かを知るまでは長くはかからなかった。それは俺の父さん、Phillyのおかげだった。

ケニーの息子のPaulはクロスビーでプレーしており、彼はタッチラインに立っていた。俺たちがPKを与えられ、クロスビーは1-0でリードされた。ケニーは判定が納得できず、レフェリーをを激しく非難した。
「そのf*****な口を閉じろ、ダルグリッシュ。」俺の父さんは言った。「アンフィールドであれだけ沢山あやしいPKを貰ってきたんだから、そのことについてはお前は何もかも知っているはずだろう。」

スカウトのTom Saundersは、2人を引き離しておかなくてはならなかった。もしもケニーが侮辱されたと感じていたなら、俺のリバプールでの立場はやっかいなことになっていたかもしれないが、彼と俺の父さんはそれ以来、あのことを笑い話にしている。

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キャラ最高です。キャプテンはラファには何でも言えるのか(笑)。ラファお疲れ様です。ニールがリバプールのオファーを蹴ったのは、ひょっとしたらこの件のせいかも。
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無題

面白いですね!
これは本を買わないとね^^

Re:無題

さすがキャラ!です^^。

無題

長い訳をどうもありがとうございます。途中何度もにやにやしながら読ませていただきました。カラガー最高です!いったいどうやったらカラガーがイスタンブールでPKを蹴ったと誤解できるのか、イングランドのアシスタントマネジャー恐るべしですね(笑)。トンプソンどうしてるのかな?懐かしいな〜。確か今日当たり発売ですよね。さっそくAmazon で予約しました。届くのが楽しみ〜。

Re:無題

こちらこそ長~いのを読んでいただきありがとうございます。私もニヤニヤしながら訳してました(笑)。イングランド代表の件は仰天しました。こんなことでは、リカルドのPK対策なんて全くしてなかったんでしょうね・・・(怒)。本はAmazonで注文できるんですね!私も早速頼みました。

無題

長文翻訳お疲れ様です!

これは確かに本が欲しくなりますね、買って辞書片手に読んでみます

原文をそのまま理解できたらもっと楽しいんだろうなあ

Re:無題

私も辞書を片手にがんばります。読破するのにどれだけかかるか(汗)。
この紹介した部分だけでも、Fで始まる以外もかなり行儀の悪い言葉がありました(笑)。

無題

キャラ最高!ジェラもそうですが、言いたいことはっきりと言える人って大好きです☆
ふたりの話て、確かに物議をかもすものかもしれませんが、LFCのリーグ優勝を誰よりも望んでいる彼らの意思に溢れた強烈なコメントは頼もしいし、独りよがりになりがちのラファも彼らのことだけは無視できないでしょうから、私はどんどん言って欲しい”
誰か、ふたつとも翻訳版だしてくれないでしょうかねー

Re:無題

翻訳出して欲しいですね~。きっとフットボールの名著になると思うんですが(笑)。東本さんお願いします。
ラファのことも彼はかなり際どいとこまで発言していますね。しかし公式HPからはラファの彼に対する称賛のコメントが。この2人の関係はちょっと計り知れないものがありそうです。私は、ラファが来てレッズで一番成長した選手はキャラだと思っているんですよね。ラファがCBに固定したからこそ、彼はワールドクラスの選手にはなれたんだと思います。
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