公式HPに、レイナの父親でかつては同じゴールキーパーだったミゲル・レイナと、ぺぺ親子へのインタビューが掲載されています。UEFA Champions magazineのインタビューで、インタビューアーはGuillem Balagueです。
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16年のキャリアの中で、ミゲル・レイナはラ・リーガのベストキーパーに贈られるRicardo Zamora賞を2度受賞している。1973年に彼はアトレティコ・マドリーに移籍し、1974年にバイエルンとのヨーロピアンカップ決勝に進出した。
彼は不公平にも、その失点したゴールがもっとも記憶されている・・・ゲオルク・シュヴァルツェンベックの、延長終了間際の35ヤードのシュートだ。アトレティコは再戦を4-0で落とした。ぺぺは彼の父と多くの経験を共有している・・・ヨーロピアンカップ決勝での敗退、バルサNo1としての時期、代表キャリアでは強力なライバルに隠れた存在。ミゲルにとってそのライバルとはJose Angel Iribarであり、ぺぺにとってはイケル・カシージャスだ。
歯に衣を着せない率直で現実的な人物、レイナ・シニアは彼のフットボールと人生を非常に真面目に捉えている。彼は1月に狭心症の発作を起こし、こう明言した。「バルセロナのDexeus病院に、私への処置について感謝の言葉を述べたい。彼らは私の命を救ってくれた。」
Guillem Balague:ミゲル、元ラ・リーガのキーパーとして、あなたの息子さんがスペインの外で歴史を作っていることをどう思っていますか?
Miguel Reina:ぺぺはトップクラスで、世界で3本の指に入るキーパーだ。少し自慢しているように聞こえるかもしれないが、私の年齢ならば、そいうことを公言しても問題はないだろう。
Balague:TVで彼を見るのは苦痛ですか?
Miguel:TVでもTVでなくても、かなり苦痛だね。アテネでは、私はスタジアムにいながら見られなかった。普通はぺぺを見に行ったりはしないし、ああいう試合は見るよりもプレーするほうがましだね。自分の息子を見るというのはきついよ。ああいう失敗が許されないポジションでやっているなら特にだ。90分間良いプレーをしていても、最後にひとつ失敗をすればその失敗だけが記憶される。それほど遠い過去でなくとも、前回のマンチェスター・ユナイテッドとリバプールの試合でぺぺは5回か6回好セーブをした・・・しかしボールをパンチしようとしてそれを失敗してしまった。その後は、誰もがそのミスばかりを注目している。
Balague:批判というのは、フィールドプレーヤーよりもキーパーの方が影響されるものですか?
Miguel:プレーしている時はそういうことは考えない。翌日の非難は影響するだろうが、あまり注意は払わない。自分よりも厳しい裁判官はいないよ。
Balague:昨年の準決勝でのぺぺはすばらしかったですね・・・
Miguel:スペイン人キーパーがゴールデングローブ賞を受賞したのは史上初というのは、驚異的だよ・・・そしてリバプールでの2年目のシーズンでね。しかし私は常に、ゴールキーパーの賞というのは一人の選手ではなく、チームで勝ち取るものだと言っているんだ。スペインではその重要性の位置づけはもっと低い。
Balague:アンフィールドについてはどうですか?
Miguel:感動的だね。彼らはフットボールに対する考え方が違う。リスペクト、人々、ファンの知識、全てが私達が慣れ親しんでいるものとは完全に違っている。私はあそこでプレーするためなら金を払うよ。スペインは、彼らを手本に学ぶべきだ。
Balague:あなたはヨーロピアンカップ決勝でプレーしました・・・
Miguel:ああ、そしてあのゴールがなかったら、誰も私のことを思い出しはしないだろう。私の父親でさえね!ああいうゴールキーパーの害毒を飲み込まなくてはならなかった、私は不運な人間だった。あのことはずいぶん考えたよ。誰もがあのゴールのことを覚えているが、あれが大会を通して私の初めてのミスだったことは誰も覚えていない。試合終了までわずか30秒で、私は初めてミスをした。再戦は悲惨で、我々は4失点を喫した。バイエルンは1974年のワールドカップで優勝した代表チームを基本としており、我々は大きなチャンスを逃した。あの時のヨーロッパカップ決勝までたどり着くのは、非常に困難だったよ。しかし、準決勝のセルティック戦は本当に感動的だった。マンサナレスの満員の観客の前で我々が得点したあの時・・・私がプレーした最高の試合だったし、ああいう風にファンを幸福にしたのはファンタスティックだった。
Balague:フットボールはずいぶん変わりました・・・
Miguel:今もあの頃と同じだよ。ルールはキーパーの役割を変えたが、基本的なポジションは同じだ。一番の違いは、足を使うプレーを学ばなくてはならないことだ。
Balague:キーパーに必要とされる強さは何でしょうか?
Miguel:非常に優れたポジションセンス、機敏さ、動きの予測、スピードと距離、勇気・・・そして決して躊躇してはならない。反射神経とテクニックが最も肝心だ。
Balague:あなたの頃は、お互い相手のPKの蹴り方を研究していましたか?
Miguel:私はレアル・マドリーとの一戦を覚えているよ。我々はPirriとAmancioがどうPKを蹴るかを研究し、私は彼らがどちらに蹴るかコーチと意見が一致して、こちらに飛ぼうと決めた。しかし結局あいつらはボールを違う方に蹴ったよ。今は、ライバルがどちらに蹴る傾向があるかを知るのは普通のことだ。
Balague:彼らがPKを蹴る前に、選手同士が心理戦を仕掛けたりはしましたか?
Miguel:いや、私はただ待っていた。彼らがどう蹴ってくるか、その方向に飛ぶ備えをしなくてはならない、それだけだ。他のことは何も考えない。そういう時間はない。
Balague:ぺぺには何かアドバイスをしていますか?
Miguel:いや、そうしないようにしているよ。彼は自分に自信を持たなくてはならないし、若い時からそれを持っている。ゴールキーピングのトレーニングは十分やっているしね。
Balague:ユースで彼は何を学んできたんでしょうか?
Miguel:忍耐、努力、毎日何か新しい事を学んでいたよ。そして良い人間であること。これは人生を歩んで行く上での基本だ。
Balague:お互いのミスについて議論はしますか?
Miguel:我々は試合について話すし冗談を交わしたりはするが、あまり分析はしないね。私は彼ほどうまくはなかったし!(笑)近頃ではミスはみんなにあれだけ詳細に吟味されるから、我々は他のことを話す方がいいんだよ。
Balague:ぺぺが少年だった頃、あなたは彼がトップでプレーすることになると思っていましたか?
Miguel:彼の持つスキルで、そうなって欲しいと思っていた。父親としては、自分の子供への夢が実現するのを見るよりも嬉しいことはない・・・しかしそれは彼の努力と姿勢の賜物だ。何事も易々と手に入れられるものではないよ。
Balague:レイナという名前は、彼に影響したかもしれないと思いますか?
Miguel:おそらくはね。ぺぺはねたみを引くんだ。人々は彼の人格、彼の在り方、彼が良い人間であること・・・そして優れたキーパーであるという事実に嫉妬する。
Balague:彼がスペインに戻ってくることを願ってはいませんか?
Miguel:リバプールで、全てが彼にとってうまく行っている。太陽と友人をきっと恋しいと思っているだろうが、これだけ多くの飛行機が行き来しているから、大した問題ではないよ。
Balague:今度はあなたの番です、ペペ。あなたの名前は障害か力になったか、どちらでしたか?
Pepe:僕は自分の名前を誇りに思っているよ。僕のような父を持つというのは特権だ。彼は友人のようであり、一流のフットボールに深く関わって来た経験豊かな先生のようだ。
Balague:あなたたちは何か共通の特徴を持っていますか?
Pepe:わからないな、僕は彼のプレーを見られるほど幸運ではなかったからね。言われて来たことからすると、僕たちは動き方がかなり似ているらしいよ。彼はもっと機敏で、僕が理解している上では、僕よりももっと熱かった。短気で熱くなりやすく、速い。しかしフットボールは変わったよ。あの頃は足を使うプレーはなかったけど、今はそれをやらなくてはならない・・・かなりね。
Balague:そしてあなたたち二人とも、代表チームでのプレーを逃しています・・・
Miguel:僕たちにはIribarが支配していた時代があって、僕の場合はイケル・カシージャスだ。完全に理解できることだよ。彼らはその時代のベストキーパーだ。我慢して、努力を続け、チャンスが来たらそれを生かさなくてはならない、それだけだ。
Balague:あなたの最も古いヨーロピアンカップの記憶は何でしょうか?
Pepe:1992年のバルセロナの優勝の時だ。僕は彼らをサポートしていたよ。
Balague:選手としての初めての試合は?
Pepe:実を言うと、僕は良く覚えていないんだよ。バルセロナにいた時の、2002年準々決勝のパナシナイコス戦だったと思う。残り時間25分で、僕たちのキーパー、ロベルト・ボナーノが負傷した。いろいろあった試合だったよ・・・僕たちはリードされた状態でスタートし、最後は3-1で勝利したけど、苦戦した。
Balague:チャンピオンズリーグの試合というのは、何か特別なものがありますか?
Pepe:アンフィールドの夜は特別だね。そしてリバプールでチャンピオンズリーグの試合をプレーするというのは、常に特別だ。遠征して、試合前日は相手チームのピッチで練習する。すばらしい経験だよ。
Balague:あなたのお父さんは、あなたに伝えた話がいくつかあるはずです・・・
Pepe:少しね。彼らがもう少しで優勝するところだった、1974年の決勝。もしもあのゴールを入れされてなかったら、誰も自分のことを覚えていないだろうって冗談を言っているよ。しかし僕は、準決勝のセルティック戦で彼が驚異的だったことは何度も聞いた。特に彼の独力でアトレティコを決勝に導いたってことをね。
ゴールキーパーであるということは、こういうことだよ・・・失敗は許されない。決勝まで到達し、ああいうものすごいフットボールの夜を経験するというのは信じられないようなことだ。それで優勝したらどんなものか、それは想像するだけだね。
Balague:二つのリバプールについてはどう思いますか?ヨーロッパで成功し、片やプレミアシップでは今ひとつです。
Pepe:フィジカル的な違いがものすごいということが難しさだね。テクニカルにショートパスを繋いでくるチームが、ダイレクトにボールを前線に蹴りこんでくるチームと競い合わなくてはならない。守るのがもっと難しいんだ。そういうチームは本当に戦術的なチャレンジをして来て、いろんな懸念を引き起こす。それがプレミアシップで僕たちに起こっていることだ。僕たちはまだ本当のトップには達していない。
9ヶ月間に渡って3つのビッグチームと競い合うというのは難しいよ。彼らは非常に強力だ。そして長いハイボールを蹴りこんで来る小さなチームとも戦う。チャンピオンズリーグでは、リバプールのようなフィジカルの強いチームが戦術をしっかりと組み立てていれば、ベニテスの力を持ってすれば勝ち進めるんだ。
Balague:ホームシックを感じたことはありますか?
Pepe:スペインは僕の家、僕の国だからね。そこには友人や家族がいて、いろんなものが恋しいよ。スペインにはすばらしい食べ物、気候、すばらしい生活習慣がある・・・人生哲学も完全に違っている。しかしスポーツに関しては、僕は恋しいものは何もない。イングランドでプレーするというのは特権だよ。
Balague:そしてリバプールは?
Pepe:僕はラファ・ベニテスに連れられてこのクラブにやって来て、彼は僕のプレーを強化した。彼には大きな借りがある。しかし、このクラブにもとても大きな借りがあるよ。
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"DADS AND LADS"と名付けられたこのインタビューは面白かったです。レイナの父は本当にダイレクトに物を言う、楽しい人ですね。息子への愛情と信頼、そしてちょっと親バカぶりもよくわかりました(笑)。次回はアロンソ親子が登場です。
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