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FIELDS OF ANFIELD ROAD

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リバプールエコー紙では、「フェルナンド・トーレス・ストーリー」と題してパート1から3までの特集を掲載します。10日に掲載されたパート1を訳してみました。題は'Painful day when I gave up as a keeper(僕がキーパーをあきらめた痛い日)'
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17年前、マドリード郊外ワーキング・クラスの裏通りで、6歳の少年が涙を拭い、地面に散らばった自分の歯を見つめながら、もう2度とゴールマウスの中ではプレーしないと誓っていた。
下の兄弟のほとんどがそうされるように、彼の兄も通りでボールを蹴って遊ぶ時に彼をゴールポストの間に立たせた。しかしこの痛いセーブが、その小さな少年の人生を永久に変えることとなった。その日以来彼は、ボールをセーブするよりもネットに叩き込む方がずっと安全なんだと決意した。
今、フェルナンド・ホセ・トーレス・サンスは地上で最も優れたストライカーの一人である・・・完全に一人前のスペイン代表選手であり、世界のフットボールの中で最も成功したクラブのひとつでプレーしている。
トーレスは1984年3月20日、FloriとJoseの両親の元に生まれ、幼い時をマドリード郊外の大きな町Fuenlabradaで、兄Israelと姉Mari Pazと共に過ごした。ヨーロッパのほとんどの子供と同じように、彼もまだおむつをつけていた時からフットボールをプレーし始めた。
彼の一番最初の記憶は、真夏の暑い中父と共にボールを蹴り、祖父の語る過去の偉大な選手たちの話に耳を傾けていたことである。組織だった初めての試合はParque84でプレーした時で、地元のスポーツセンターで行われたインドアでの2日間の大会だった。その時たったの5歳だったストライカーは自分が非常に小さかったことを認めるが、それ以来彼はこの美しいスポーツの虜になった。

トーレスは話を続ける。「フットボールが僕にとって本当に重要なものになったのは、6歳くらいからだったよ。スペインの子供向けTV番組、'Oliver and Benji'のおかげでね。それはアニメシリーズだったんだけど、本当に面白かった。子供たちが最初は楽しみでフットボールを始めて、最後はプロになるまでの物語だった。TVを見た後、僕と兄は外へ出てフットボールをしたよ。そのアニメの子供のように、自分がプロのフットボーラーになったところを想像するのが好きだった。
始めは、ボールがぶつかって倒れて歯を2本折るまではゴールを守っていたんだ。でもその日で僕はゴールマウスの中にいるのは止めると決心したんだよ。すばらしいセーブだったんだけどね。」

次の年の夏、彼は近所のカフェチームMario's Hollandとサインし、他の子供たちよりも2歳年少にもかかわらず、インドアのジュニアリーグでコンスタントにゴールを上げ始めた。

「僕の人生最初の7年間は、家族、友達、フットボール、そして夏休みがあれば幸せだった。」彼は認める。

ちょうど8歳になった時、彼の家族はガリシアのEstordeに引っ越し、トーレスはそこで初めて恋人Olallaと、現在の最も親しい友人たちのほとんどと出会った。その3人はJuli、EliasとOscarで、彼ら3人はフェルナンドとの子供時代の楽しい思い出を共有している。

Juliは思い出す。「彼はそばかすだらけで、金髪を坊ちゃん刈りにしていたのを覚えているよ。」

一緒に学校に通っていたEliasは語る。「彼はすごく腕白で、すごくラッキーだった。ある日彼はカンニングしているところを先生に見つかって、彼女は言ったよ。『まあいいわ、2度とやるんじゃないわよ。』ってね。全ては彼のかわいい顔のおかげさ。彼が見逃されたことにクラス中が文句を言ったけど、何もお咎めなしだったよ。」

「彼はいつも何かやっていたけど、絶対に見つからなかったね。」Oscarは同意する。「僕たちの中で一番悪い奴だったのに、他の皆はいつも捕まるのに彼はいつもバラの香りをさせているんだ。」

ガールフレンドと親友たちを得て、彼の2度目の愛が始まった。祖父が語る物語に導かれ、トーレス・ジュニアはアトレティコの終生のファンになって行った。

彼は述懐する。「子供時代のすばらしい思い出はたくさんあるけど、中でも特に重要なことがある・・・おじいちゃんと一緒にアトレティについて話したことだ。おじいちゃんはフットボールに関しては変わっていたよ。フットボールそのものついては彼はほとんど興味がなかったのに、アトレティのこととなると熱烈だった。
僕の前にいたおじいちゃんの姿は、僕の心の中に今もありありと残っている。止まることなくしゃべり続けて、僕にアトレティコ・マドリーのファンになることの重要性を理解させようとしていた。
そして、あのすばらしい物語の証拠として、僕は彼の名前とアトレティコのバッジを組み合わせたプレートを持っている。そのプレートは、僕が今までに得た最高のトロフィーなんだ。」

ちょうどその頃、彼の環境の良さがわかるのに十分なエピソードだが、彼の父Joseは息子を初めてビセンテ・カルデロン・スタジアムに連れて行った。

「初めてアトレティコ・マドリーのトロフィールームを訪れたのは、ちょうど9歳の時だった。」トーレスは述懐する。「でもパパは僕に、自分たちがどこに行くのか内緒にしたがっていたのを覚えているよ。
僕たち二人のどっちの方がワクワクしていたかわからなかったね。僕に見せたくてたまらなかった彼か、それともビッグサプライズを待っていた僕か。そこに着いた時のことは今でも言葉に出来ない。僕たち二人ともそれを愛していたんだ。」

その時彼は知る由もなかったが、それから12ヶ月の内に彼はそのクラブで歴史を塗り替える最初のステップを踏むこととなった。10歳の時、トーレスはRayo13で初めて11人制のチームに加わった。
デビューシーズンで彼は55ゴールを記録し、リーグのベストプレーヤー3人の中に選ばれ、アトレティコのトライアルに合格した。

「トライアルの日は本当にワクワクしていたよ。」彼は語る。「ピッチに出て実際の空気を感じたくて死にそうだった。そして、物事が自分の願っていた方に変わったんだ。」

次のシーズン、彼はクラブのアカデミーに加わり、最終的にはトーレスの良き指導者の役割を果たすこととなるManolo Rangelのコーチを受けた。

「彼は賢さと、爆発的なスピードと勇気を見せていた。」Rangelは後にこう語った。「普通の子供のようにはフットボールを考えてはいなかったね。」

彼の子供時代についての第一章は終了。次回は、彼がアトレティコ・マドリーの歴史を永遠に塗り替えたティーンエイジャー時代を掲載します。
次回は"The rise of 'El Nino'(エル・ニーニョ出現)"

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金髪の坊ちゃん刈りのかわいい顔で悪の限りを尽くすトーレス、父親と二人で顔を輝かせてビセンテ・カルデロンを訪れるトーレス、いいですねえ。エコー紙では3回連続で、明日パート2を掲載するようです。さすがスター、エコー紙の取り上げ方も他の新加入の選手とはちょっと違いますね。ヨッシーストーリーも読んでみたいんですけど(笑)。
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