ミラー紙に、キャラガーの独占インタビューが掲載されています。題して、「リバプールの監督になりたい」
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●キャラガー
(ミラー紙)ジェイミー・キャラガーを突き動かしている、他の何よりも大きな野望がある。それは「サー・アレックス・ファーガソンに彼のf******な身の程を思い知らせてやること」。
マンチェスター・ユナイテッドを文字通り荒れ野にすること、それはちょうどファーガソンがリバプールに対してやったようにだ。そして彼がそれを達成するとしたら、彼はそれを23の赤いシャツを身にまとってではなくスーツとタイでやることを望んでいる。
なぜなら、キャラガーは自分がリバプールの選手としてプレミアリーグ優勝を果たせると自信を持っているが、彼の究極の願望は、監督としての優勝だからだ。そしてアンフィールドに新しい王朝を築くことである。
「監督としてリーグ優勝を果たしたら、それは俺の決断で決まるんだから偉業以上のものだろう。」30歳の彼は、彼のレストランCafe Sports Englandで、自分の本の出版に先立ってそう語る。"キャラ 私の自叙伝"。
「ファーガソン以上の好成績を残すというのは、フットボールをやっている男の究極の夢だよ。彼は達人だからね。彼が、俺が監督になるのを待ってくれるだけ長くやり続けてくれるのを願っているよ。」
キャラガーの、コーチの資格を取ってリバプールの監督として敵に立ち向かいたいという望みがKOPたちの楽しい驚きになるとしても、それは彼自身の動機ではないかもしれない。アンフィールド最大のブギーマンと競い合いたいという野望、それは憎悪から来ているのではなく・・・尊敬からだ。
「俺はこの競技の中で、他の誰よりもファーガソンのことを尊敬しているんだ。彼は実際スカウサーみたいなんだよ。面白くて、人にf*** offと言って気にもしないし、労働党に投票するんだ。俺は彼が大好きなんだよ。」
マージーサイドでサポートするクラブを変えたことで最も良く知られている男、キャラガーは、両チームのサポーターを隔てているものを客観的に見るためによく例に出される。「ブートル(※キャラガーの出身地区)最大のブルーズ」を一時期は自認していた男が、今は他のどのチームよりもエバートンを倒したいと思っている、なぜそうなったかをエバトニアンが知ったらショックを受けるだろう。
「ダービーで負けるというのは、他のどんな試合を落とすよりも最悪だ。俺の情熱はもう一周りしたよ。シーズンの初日、ブラックバーンがグディソンでロスタイムに決勝ゴールを決めた時に俺は大興奮さ。俺たちはサンダーランド戦のプレーに備えていたんだが、あれは俺の大きな励みになったね。」
11歳の時、1989年のアンフィールドでMichael Thomasがリバプールのタイトルを打ち砕く土壇場の決勝点を決めた時には、彼は無我夢中になって喜び、この熱狂した子供はブートルのパブの壁に『アーセナルありがとう』と落書きをした。
「子供の頃と10代の頃は、俺は完全なエバートンマニアだったんだ。エバートンは俺の人生をコントロールし、24時間俺の考えを支配していたよ。俺はアウェイゲームにも行ってヨーロッパ中を追いかけ、80年代半ばにはあんまりウェンブリーに行き過ぎて、そこがアルトン・タワーズ(※イギリスの遊園地)みたいに感じ始めていたよ。
エバートンのチームについて話す時は、俺はいまだに『We』と言うんだ。リバプールのリザーブチームでプレーしていた時でさえ、エバートンのファーストチームがダービーで勝つことを毎回願っていたな。」
狂信的なブルーズから熱狂的なレッズへ、彼の変化は徐々にだった。アンフィールドでの地位を確立するにつれて、彼はエバトニアンのからかいからリバプールを守っている自分自身に気がついていた。しかしある出来事が、彼のエバートン愛を完全に終らせることになった。
1999年1月、リバプールはオールド・トラフォードでリードしていながら、終了間際に2点を奪われてFAカップで敗退した。彼は地元ブートルのパブ、The Chaucerに入って行った。からかいと、しかし同情も期待して。彼がそこで受けたものは笑い声と嘲笑だった。「俺はあの日、打ちのめされてへこたれたよ。友人たちは、俺を他の"汚いKOP"たちと同じように扱うことをためらいはしなかった。そして俺はそんな風に扱われたよ。俺はそれをもう受け入れられなかった。俺のことを愛してくれていると思っていた人間たち、彼らが俺の苦しみをいい肴にしていたんだ。俺はやっとわかったよ。そして向きを変え、出て行ったんだ。
彼らは何も間違ったことをしたわけじゃない。だたいつも通りだっただけで、いまだに俺の友達さ。しかし何かが終ったんだよ。俺はあのパブを出て行き、永遠にエバートンから背を向けたんだ。」
自分はひょっとして間違った決断をしたのかもしれない、そういう疑問は、マージーサイドダービーでますます高まる不快な空気の中で消えて行った。スティーブン・ジェラードやロビー・ファウラーのような仲間たちが、個人的な悪態を受けた時である。
「俺は、彼らがスティーブンや彼の家族のことを歌うのが嫌いだ。あれにはうんざりだし、フットボールだけでなく人生の中で受け入れがたい種類のからかいだ。
ロビーも、彼と彼の家族を本当に傷つけるような恥ずべき類のあざけりを受けた。俺はリバプールファンには罪がないとは言わない。実際そうだからな。彼らだって、試合中は俺たちのライバルに悪口を浴びせる。しかしそれは試合終了と共に終るんだ。
エバトニアンはリバプールの街中に嘘を撒き散らし、彼らがレディングやポーツマスとプレーしている時でさえ、そういうチャントを歌う。彼らがヨーロッパのアウェイでプレーしている時でさえ、俺はテレビでそれを聞いたよ。そして俺は、彼らが歌っているのは俺の家族のことかもしれないんだと思う。」
キャラガーが、家族に対するリスペクトを他の選手たちよりも求めるのには理由がある。彼の母親ポーラは、彼を身ごもっていた時に彼が脊椎破裂を負っていることを告げられ、中絶の選択肢もあると言われた。敬虔なカトリックである彼女はそれを拒否し、彼女の深い愛情は今もジェイミーの心を深く動かしている。
「彼女は障害のある子供を喜んで育てようとした。俺のために人生を捧げる覚悟をしていたんだよ。俺がこれまでやって来られた30年間のこと全ては、彼女の決断のおかげなんだ。」
彼は脊椎破裂ではなく胃壁破裂と呼ばれる状態だったことが判明し、彼は胃の外に腸が飛び出した状態で生まれた。(彼の腹部に大きな傷があり、へそがないのはそれが理由である)そして生後6週間、病院で生死をかけて戦った。
そしてそれ以来、彼は戦うことを決して止めていない。降参することへの憎悪、そして成功することへの飽くなき欲求は、少年時代の彼にとってしばしば問題となった。彼は周囲のどの子供よりも優れた選手であり、それを彼らに思い知らせた。
「俺は他の子供が自分と同じぐらいできないのが理解できないし受け入れられなくて、彼らにガミガミ言わないではいられなかった。俺はいつも監督に脇に引っ張って行かれて、もっとチームメートをまともに扱えと言われたよ。それは今でもある。ラファはしょっちゅう俺に、他の選手に対して厳しすぎると言って叱るんだよ。
自分が試合中に言ったことについて謝るために、ぺぺ・レイナにメールを送らなくてはならないこともある。俺は選手たちに何か言って、その後で『俺は何を言っちまったんだ?』と思うんだよ。そして時々、ひどい口論の後で、『ああ、もうあいつらは俺を嫌いになったかな?』と思うんだよ。しかし俺は、周りの人間に話を聞かせないと気が済まないんだ。そうは言っても、もし誰かがピッチの上での振舞い方を俺に教えようとしたら、『f*** off、それは俺の仕事だ』と返されるだろうな。」彼は笑ってそう語る。
彼のキャリアを詳しく知ったら、それは驚きかもしれない。10代の時、キャラガーはイングランドの学校では前線で点取り屋のストライカーとしてプレーし、アンフィールドでのリザーブもそのポジションからスタートした。
1996年のFAユースカップの栄光までたどり着くその間に、彼は中盤からセンターバックへ、彼の生来のポジションへと位置を下げて行った。「ジョン・テリー、リオ・ファーディナンドやレドリー・キングと比べたら、俺はあんなふうにでかくもないし、素早くも強くもない。俺の一番の強みは、試合の読みなんだ。俺は後ろで糸を引いて皆を操るのが好きなんだよ。」ジェラードがリバプールのハートだとしたら、キャラガーはその魂だ。
外国人で埋め尽くされたチームの中で、彼はスカウスの魂を体現している。そして彼は外国人選手の流入はイングランドのクラブフットボールに利益をもたらしていると信じているが、それは度を越しているとも感じている。
「明らかに、この競技には多すぎる外国人選手がいる。地元の子供たちを育てないで、アカデミーにこれだけの資金をつぎ込む意味がどこにあるんだ?リバプールFCは俺たちのクラブだ。俺たちの町の大きな一部で、野心を持った若いスカウサーたちに成功のチャンスを与えてやらなくてはならないんだよ。
それはフットボールだけじゃない。俺には2人の兄弟がいるが、彼らはリバプールが欧州文化首都のこの年に、仕事がなかなか見つからない。その理由の一つは、俺たちがあまりに簡単に外国人を連れて来て、仕事に就かせているからだ。」
自分の町、自分の人々に対する彼の情熱は計り知れない。「イングランドがワールドカップで優勝するか、それとも俺たちがイスタンブールで果たしたことか、どちらか一つを選べと言われたら、俺は単純にイスタンブールを選ぶ。それがリバプールにとってどんなに大きな意味を持つか、俺は知っているからだ。
人々は俺に、俺たちは彼らにその人生で最もすばらしい夜をプレゼントしたと言ったよ。そして、自分が来週死んでも幸せに死ねるってね。考えさせられる言葉だよ。」
彼はブートルの幼馴染であるニコラと3年前に結婚し、5歳のJames、4歳のMiaという2人の子供をもうけている。ニコラはジェイミーよりも3歳年下で、彼の初めて、そして唯一のガールフレンドであり、彼は18歳の時に勇気を振り絞ってやっと彼女をデートに誘った。
彼の理論はこうだ。「最高の子がいるのに、何でまた他の子を追いかけるんだ?」
忠誠心、それはキャラガーの辞書の中の大きな言葉である。2005年、ジェラードのチェルシー移籍の可能性が取りざたされた大騒ぎの中、彼は、リバプールよりも大きなクラブに自分が移籍する可能性を問われた。
彼の返答は間髪を入れないものだった。「リバプールよりでかいクラブがどこにあるんだ?」
しかし、現代の多くのファンが忠誠心というものおいて持っているねじれについて、彼は幻想を抱いてはいない。彼のキャリアの中で最悪の時は、ジェラール・ウリエの2シーズン目、フランス人監督がセンターバックのサミ・ヒーピアとステファン・アンショズを獲得した時だった。
「俺はちょうどその時プレイヤー・オブザイヤーに選ばれていたんだが、シーズンをあまり良いスタートが切れていなくて、ファンはアンショズを俺のポジションでプレーさせろと要求していた。
俺はこう思ったよ。『待てよ、2、3試合前には俺は最高の選手だったじゃないか』ってね。俺はその時まだ21歳で、それを理解するのに悩んだよ。腹が立ったし、その後落ち着くまでしばらくかかった。
最終的にファンがチーム・キャラガーのチャントを歌い始めた時、俺は『6年前にはそんなチャントは歌わなかったじゃないか』と思ったね。
俺は幻想を抱いちゃいない。俺が何年間何をやっていようと関係なく、誰かもっといい奴が出て来たらすぐに、『f***キャラ、出て行け』と言われるんだ。しかしそれがフットボールだよ。
人々は、俺がリバプールにどんなに忠実かをしゃべりまくる。しかし忠誠心が問題なんじゃないんだ。問題なのは、『リバプールを出て俺が一体どこに行くんだ?』ってことさ。俺たちは世界最高のチームの一つにいて、俺は毎週プレーしている。
俺はリバプールを去りたいと言ったことはないが、もしもリバプールがこれほど優れてなく、レアル・マドリーやバルセロナのような偉大なチームからオファーを受けたら、俺は行くかも知れない。それは、俺がいつでも出来るだけ最高のレベルでプレーしたいという気持ちに駆り立てられているからだ。」
それでは、ジェイミー・キャラガーの未来には何が待っているのか?「俺は3年契約を残しているし、1シーズン50試合はプレーしたい。俺のポジションには競争があるし、そのために戦う覚悟は出来ている。これまでの人生を通していつも戦って来たからね。
俺の周りには、いつも俺よりもテクニックに優れた選手たちがいるだろう。しかし、俺の情熱や気力にかなう奴は誰もいない。俺は今後もう一度契約を延長するために戦うし、その時は1シーズン25試合でも喜んで受け入れるさ。」
そしてもしも、その後ファギーがまだ監督の地位にいたとしたら、彼は気をつけたほうがいいだろう。
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なんというキャラらしいインタビュー、読んでにやにやしてしまいました。彼の直球ストレートの言葉は、何のためらいも装飾もありませんね。チームメートにもそういう言葉を浴びせて、その後でびくびくしてメールを打っている姿を想像してしまいました。そしてそれでも懲りずに同じことを繰り返し、そんな彼をチームメートは理解して心から信頼しているんだと思います。しかし監督になったらもうちょっと自重しないと(笑)。
自叙伝は9月11日発売です。ミラー紙でその内容の一部が紹介されましたが、さっそくイングランド代表についての彼の言葉がいろんなメディアで報じられています。本の中にはどんな彼らしい爆弾が入っているんでしょうか。
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無題
リザーブの試合を発見したのでどうぞ。(この前のやつかな?)
http://jp.youtube.com/watch?v=YVI7bMUr2T4
Re:無題
キャプテンとキャラの二人監督(笑)。確かにそれぞれにないものを補ってくれそうです。でも外国人選手たちは監督の言葉を理解するのに、四苦八苦しそうですね。