公式HPに、"Emel magazine"という雑誌の記者のコラムが載っています。その中の、シソコに対するインタビューの部分を訳してみました。
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私(記者・イスラム教徒)の挨拶はアラビア語で、"Assalamu'Alaikum"(あなたがたの上に平安がありますように)
モモの返事は"Wa'alaikum salam"(あなたがたの上にも平安がありますように)
ラファ・ベニテスがモモをビエラと比較したことについて私が尋ねると、謙虚なモモは、その比較にほとんど恥ずかしがっていた。
「コーチが僕のことを高く評価しているのを聞いた時はうれしかった。今のところ、僕は自分のピッチでのパフォーマンスに満足していますし、自信もあります。僕の家族もハッピーです。将来もっといい選手になろうと、毎日頑張っていますよ。僕はまだ若い。まだ21歳ですから、毎日練習、練習あるのみです。」
私はモモに、ベンフィカでの運命の夜、目を負傷したとき、彼の頭に何がよぎったかを尋ねた。彼は椅子に深く座り、あの日ストレッチャーで運ばれていく間に、自分の頭をどんな考えが通り過ぎて行ったかを説明した。
「僕の目を守ってください、と神に祈っていました。怪我はとても深刻で、僕だけでなく、僕の両親と僕の国の人々にとってもそうでした。でも今は大丈夫、僕は何でも見えます。両親とは電話でいつも連絡を取っていますが、彼らは今幸せですよ。」
子ども時代に目を向けて、モモは彼のタフな育ちについて話した。彼はフランスのルーアン、Mont Saint Agnain地区で生まれ、パリ郊外のトロワで15人の兄弟姉妹と共に育った。彼は、今日の自分があるのは両親の努力のおかげだと感じている。
「リバプールでプレーするということは、僕にとってとても重要です。僕は子どもの頃から、家族のために働きたいと思っていました。僕らはとても貧乏だったんです。
僕は家族にいい家が欲しかった。家には大きなスペースも、他にいい物もなかった。僕のパパは、毎朝5時に起きて仕事に行っていました。両親ともに必死に働いていました。でも今は全てが良くなりました。僕は今たくさんの物を持てるようになった。毎日感謝の祈りを捧げています。」